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再び、関東大震災の「流言飛語“虐殺”」 [災害教訓]

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上画像:「災害教訓の継承-1923関東大震災」より第4章・第2節「殺傷事件の発生」より「流言の事例」

【 現代の自主防災組織も銘記すべき悪夢――「関東大震災朝鮮人虐殺」 】

●災害犠牲者とは 都知事の「判断」と「事実のゆがみ」

 本紙《Bosai Plus》は本年(2017年)5月1日号(No. 161)特別企画で「流言」を取り上げました。そのきっかけは、当時(から現在に至る)、朝鮮半島の緊張感の高まりと同時進行した報道の真偽問題、すなわち朝日新聞の「『朝鮮人虐殺』含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除」という記事にありました。
 朝日新聞の記事に対して内閣府が真っ向から反論、記事内容に抗議することを示唆(産経新聞報道より)していたのですが、内閣府から朝日新聞への「抗議」はないまま、また朝日新聞のフォロー記事もないまま、うやむやになってしまったようです。
 本紙はこの件の推移について「事実のゆがみ」を正してほしいとしました。
>>《Bosai Plus》:災害・武力衝突下の「流言飛語」 危険な飛来物
>>朝日新聞:「朝鮮人虐殺」含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除
(2017.04.19.)
>>産経新聞:内閣府、朝日記事を否定 ホームページの「朝鮮人虐殺」削除報道、抗議も検討
(2017.04.20.)

 その4カ月後の8月末、小池百合子・東京都知事が、例年都知事から送られていた関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文を今回は送らないという“判断の是非”をメディアが取り上げました。
 小池都知事は記者会見で「私は今回は、(民族差別という観点より)すべての方がたへの法要を行っていきたいという意味から、特別な形での追悼文を提出をすることは控えさせていただいた」と述べています。
>>東京都:知事記者会見(8月25日)

 小池都知事のこの判断に対して、疑問の声や抗議の声があがりました。関東大震災時の民族的偏見からの暴力による被害者(国の関東大震災の教訓報告書ではこの暴力・殺人を「虐殺という表現が妥当する例が多かった」としています)を“一般的な災害犠牲者”とみなすことへの疑問です。
 家屋倒壊やそれによって起こった火災で亡くなった災害犠牲者……また、現代では災害関連死も災害死にカウントされますが、このような災害死と、暴力による死をひとくくりにして災害死と言えるのでしょうか。

●数の真偽の問題ではない 起こった事実を直視

 政治的な立場とは関係ありません。それは防災教訓として教科書でも取り上げる「災害時の流言・デマ」による被害だとしても、暴力がもたらした死は、災害死一般と一線が画され、なおかつ最悪の災害教訓として銘記すべきものでしょう。そして、行政のトップこそがその反省・自戒の認識を持たなければならないと思います。
 “日本民族が他民族を虐げた”……その過去を直視することは辛いことですが、それを無視、あるいは否定することは「災害教訓の風化」どころの話ではなく、むしろ意図的にこれを否定する政治的な“企(くわだ)て”と言わざるを得ません。

 小池都知事の判断に政治的な背景があるかどうかは知りませんが、報道では、くだんの朝鮮人犠牲者の追悼式が“虐殺”の朝鮮人犠牲者数を6千余としていることへの反発(圧力?)もあるようです。
 国の報告書では、震災全体の死者・行方不明者約10万5千人のうち殺害による死者数を1~数%と推計しています。もちろん、数値の精度は重要ですが、真偽の問題ではありません。起こった事実こそが問題なわけです。

●地域防災の担い手が“自警団”? 自助・共助が裏返ると……

 一人ひとりの命としてみるとき、現代の私たち市民にも深刻な反省を迫ります。時代環境はあるとしても、戦時下ではない日本国内で、災害で誘発された殺傷行為で多数の外国人(主に朝鮮人、中国人ほか、そして彼らに間違えられた日本人も!)が犠牲となる“虐殺” が行われたことは否定しようもありません。
 しかも当時の官憲以上に積極的に直接手を下したのは、自警団など市井の市民だったと記録は物語っています。私たちのついひと世代前の顔なじみの人たちだったのです。

 演出家・俳優として知られた千田是也(1904―1994年)のエピソード、「(発災時)朝鮮人が襲ってくるからと夜警に引っ張り出されて東京千駄ヶ谷を歩いていたら自警団に遭遇し、朝鮮人と間違えられて『歴代天皇名を言え』と詰め寄られた経験から、自らのペンネームを千田(千駄ヶ谷で)是也(コリヤ)にした」が知られています。
 見回りグループ同士が互いに疑心暗鬼にとらわれるという、まさに流言飛語を風刺画に描いたようなシーンが各地で展開したようです。

 当時の自警団は、いまで言えば、地域防災の担い手である消防団員や防災防犯まちづくりの自主防災会、自治会などにあたり、いわば私たちの“先輩たち”です。関東大震災での流言飛語に端を発する“虐殺行為”など現代はあり得ないと一蹴するのは当然としても、かつて起こったという事実から目をそむけるわけにはいきません。
 そして、実は私たちの心の暗部に潜むかもしれない民族意識の負の面が、災害という非日常環境下の不安心理とともに表出した災害教訓として、また「自助・共助の裏返し」という意味合いでも、“虐殺”は、防災にかかわる私たちにとっても深刻で重要な教訓のひとつになります。
 
 都知事は、百歩譲って、広い意味で災害を引き金とする“関連死”だと言いたかったのかもしれませんが、関東大震災における朝鮮人犠牲者は明らかに人為災害、あえて言えば“災害にかこつけた殺人”にほかなりません。だからこそ私たちはこれを最悪の災害教訓として永く心に刻まなければならないと思います。

 M. T. 記

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